3月2日に開催された、世界選手権ジャンプ団体戦。葛西選手を含む日本チームは5位でしたが会場を沸かせるジャンプを見せてくれました。スキージャーナリストの岩瀬孝文氏のレポートをご紹介します。
「緊張の瞬間」 写真・文/岩瀬孝文
昼間は快晴のプレダッツォ(イタリア)だった。
とはいえ陽がジャンプ台の対面にあるスキー場の山に沈むとあたりが一気に冷え込む。
そして、それまでの順風の向かい風から、相も変わらずきれいに旗がなびく吹き下ろしの風に変わる。
「いつもと一緒だ」
心が落ち着いていた葛西。すべての状況を飲み込んでいた。
この風は、曇天でなければ限りなく続くバックの風。
すべからく皆に公平。
何ということはない、ふつうに飛べばいいのさ。
と思った瞬間だった。
「あ。緊張してきた。あれ?なんで」
まるでフレッシュマンのように、身体が硬直しつつある。
「いけない」
いくらか焦る。
「まずい、これはまずいな」
ますます全身に力が入ってきた。
サッツで力んで遅れたら、よくない、良くはない。
「いいや、行っちゃえ」
完全に、開き直りの1本目。
それは空中で固さのあったジャンプだが、逆風を切り裂く。
珍しく右寄りの着地で、右足がとられそうになるが、それはうまくリカバリーできてロングジャンプを決めた。会場は、他の選手よりは格段に高い拍手の嵐に包まれた。
レジェンド。
それは、もはや、伝説の域。
欧州でカミカゼ・カサイは、レジェンドと表現される。
その年齢と、いつまでも飛び続けたいと願う気持ちが、1本のジャンプに込められている。ヨーロッパ各地のファンはそれが見てとれて、限りなきエールを葛西に送る。
これは、どこの大会会場に行ってもであった。
「いや~、ほんと、緊張しちゃって1本目、なんでっていうくらい」
照れくさいのか、そう言うと、プイとあっちの方を向いてしまった。
実に突っ込みたい部分だったが、なぜか、そういった自分を楽しんでいる雰囲気がみえていたので、そっとしておいてやったさ、とかなかんとか。
そのとき葛西はうかれるでもなく、じーっとフィニッシュゲート下の雪面を見つめていた。
着地のときに右膝が深く入った感じで、まずいかなと思った1本目だったが、次に、元気よく飛んだ2本目には131mを記録、2番手には異例だったが拍手は鳴 りやまずに続いた。
「葛西はね、ほんと、すごいんですよ。宿舎では誰よりも朝、早く起きて、散歩に行って、試合に向けてコンセントレーションを高めていく」と横川チーフコーチが言う。
「それを背中で語っているんですね、後輩の選手たちに。ジャンプ選手とはこうあるべきだと。皆、それを学んでいる。だから、いいチームですよ、いまのジャパン」ようやく勝負できるポジションまで上ってきた日本、そのキーマンはやはりレジェンド・カサイなのだ。
若き新鋭のみであれば、勢いもあるが、緊迫した状況においては、何かのはずみにもろさ出てしまう。しかも有力チームからキャビン前、リフト、スタートハウスあたりでの有形無形の嫌がらせにも似たプレッシャーを受ける。
相手を飛ぶ前に徹底的につぶす、これが最前線ではあたりまえ、勝負にきれいごとはない。
そこに葛西がいて、ちらりと視線をやるだけで、あたりはしんと静まり返る。
そこで若き選手は落ち着いて最大のパフォーマンスができるというわけだ。
そんな気合あふれる葛西の1本目、122m!
気迫、入りすぎだっていうの、カサイさん。
これもノリアキ・カザーイの真骨頂。まあ、いいんでないかい。
試合は第5位で終わった。
「プラニッツァで会おうね、待ってるよ、カサイ」
ファンからの英語の一言に、瞬間、サインの手が止まった。
そして彼の白い歯が輝いた。
試合後には自国選手の奮闘に活況のポーランドファンやスロベニアファンから、サインをせがまれ、握手され、記念撮影されと、なかなかキャビンへ帰れない。
それでも丁寧にサインをしたためる。この光景は札幌でも白馬でも、ここプレダッツォでもなんら変わりはなかった。
葛西選手は、本当に世界のジャンプファンに敬意をもたれ、愛されている。
だから、いつまでもどこまでも飛び続けてほしい。
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