岩瀬氏による2013-2014シーズンまとめのレポートです。
Day after day 遥かなる道程
痛みを増してくる膝、葛西は奥歯をぎゅっとかみしめた。
おもむろにスタートを切り、サッツから軽やかに飛び出し、雨で緩み始めた雪にびしっと着地を決めた。
すかさず、フィニッシュエリアで制動しながら右膝をぐいと押さえた。
3月、W杯最終戦シリーズの地、プラニツァ(スロベニア)のラージヒルであった。
「そうですね、サッツで伸び上がるとき、そして着地で、でしたね。膝に痛みが走るのが。でもね、なんとかやり遂げたくて。とにかく試合をまっとうしたい。このシーズンをしっかりと終らせたい…」
それは一種の責任感なのだろうか。
果たさなければならない役目、身体の具合が厳しいからと休むのは簡単であろう、それは単純に『体調不良』でよいのだが。
ファンの皆さんがチケットを買って観戦に、応援にきていてくれる。たくさんの名選手や地元の人気選手に会える、そのジャンプを見て一喜一憂できる。という期待に応えなければ、そして、大観衆にいまの自分の姿を見てもらいたい。
との願いがとても強かったレジェンドカサイ。またも、痛み止めを飲む。
2月、ソチ五輪ノーマルヒルの着地で腰を痛め、その後は、W杯終盤戦が再開したファルン大会(スウェーデン)において、やはり着地でクセのある雪に右膝をとられ、インサイドにしたたかに捻じってしまった。
勇者、深手を負う。
しかし、めげはしなかった。
「そのときの考え方なんですね。負けても、ケガしているからしょうがないとなる。それで、限りなくひとケタ順位に入り続ける。これが大きかったんです。そんなポジティブな思考になることができて、それがうれしく感じられて」
つねにポジティブに状況を捉え、前に向かって進んでいく。
これが今季の葛西選手の素晴らしさだった。
ソチオリンピックのラージヒルでは、2本ともにカミカゼを受けて銀メダル、さらには4人の力を結集して団体戦で念願の銅メダルを獲得した。
長くもあり、また、たくさんの困難辛苦を乗り越えて、いや、それらのことと仲良く過ごしながらの今であろうか。
ジャンプの神様は、葛西をちゃんと見ていてくれた。
過去の五輪は1992アルベールビル(フランス)山間部、クーシュベルのシャンツェでV字スタイルデビュー、1994リレハンメル(ノルウェー)団体戦で金に王手をかけながらの銀メダル。1998長野では足首のケガにて団体戦に出ることができず、2002ソルトレイクシティ(アメリカ)のノーマルヒル転倒、2006トリノ(イタリア)、2010バンクーバー(カナダ)と長きにわたる6大会連続、なんとソチ(ロシア)は7回目になった。
その間、所属はもとからの地崎工業、流通業のマイカル、土屋ホームと3つになった。
いまの土屋ホームでは、当初、紹介してフィンランドから呼び寄せた年下の指導者に学ぶなんて! と少しだけ意地になりながらも、ペッカ・ニエメラコーチ就任とそのコーチングを受け入れ、つねに新進のテクニックを身につけていった。
ここまで所業苦行の連続であった。が、いつも、いつでも飛びたくてたまらなかった。
毎年春には、黙々とルーティンのトレーニングをこなしながら、ふと、振り返ってみれば、悔しさを晴らす。これだけで競技に望んでいたのではないか…。
そのような状態にあれば、おのずと勝利を見出すことはできない。それは、薄々であるが承知していた。
今シーズンは柔和な眼差しと落ち着きにあふれて、快活明朗、見事なまでにその悔しさはなくなっていた。
そのバックボーンになったのが、心身の状態をマッサージなどでまめなまでにケア、心の支えにもなった怜奈夫人の存在。それが、安定した力とモチベーションにつながった。
実は、最終戦のプラニツァで会っていた。
試合会場のインサイドエリアにとてもオーラがある日本の女性がいて、すれ違いざまに「こんにちは」と挨拶を交わしながら、強烈な良いものに包まれているのが感じとれた。
最初はチームのスタッフなのかな? と、思っていた。
あたりには和やかな雰囲気が漂い、ずぶ濡れの雨の冷たさもどこかへといってしまい、なぜだろうと考えてしまった。
その彼女が葛西紀明選手の、であった。
しっかりもののきれいな人が、プラニツァで彼の右膝のケアにあたっていた。
なるほど、だからメダルを取る、限りなくひとケタ入りを続けているんだと、ものすごく納得してしまった。
このことはこれまで、そっとしておきたくもあり書かずにいた。というのは各人、取材者においては、それくらいの配慮、考慮、ならびに見識は必要であろうと思うからだ。
さて、最終戦では面倒見がよい土屋ホームスキー部監督の仕事があった。チームの新鋭、女子ジャンプの伊藤有希選手への的確な指示だ。
「そろそろ表彰台に上がってみればどうだい」
とのシーズン中のアドバイスから、機が熟したと。
「いよいよ優勝するチャンスがきたからね、頑張ってみよう」
うまく彼女の背中を押してあげることに至るまで、指導者として資質の高さがうかがえるひとこまであった。
それは自身の試合もさることながら、チームキャビンで女子ジャンプ最終戦のライブ映像をじっくりと分析しながらの懇切丁寧なコーチングだった。
W杯後半、上昇機運にあふれていた伊藤選手への心と技術の伝承が、そこにみられた。
さあ、2018ピョンチャン五輪へ向けて意気揚々のレジェンドカサイがいる。
またその前哨戦となる2017には札幌でアジア大会が開催される。
「しゃにむに狙います! そう、金メダル」
欲よりは使命に感ずる、心動かすことを最善とする彼だ。
そういうスタンスは決して変わらない世界のカミカゼ・カサイ。
ならば異常なまでに騒ぐことはなく、レジェントとして最大限の敬意を払う欧州人たちのように、静かに暖かな面持ちでそれを見守りたい。
そうすれば葛西紀明は、いつもの笑顔でかわることなく、試合後には皆にサインをしてまわり握手している、そんな姿を眺めることができる。
選手生活33年、いつまでも時空を飛び抜ける彼の勇姿を崇めたい。
追記:どうしても気になることがひとつある。テレビ報道などで幾度も映像で取り上げられる「落ちれ~」という表現についてだ。
長野五輪の団体戦では、その現場にいて、雪に埋もれてもなおシャンツェを鋭く見上げていた葛西選手のそのシーンを目撃していたが、あれには外因と背景があることを充分に認識しなければならない。後にその言葉の内容を聞いたソルトレイクシティ五輪でのこと、よろしくない誤解を生む表現になると私はもちろんペンを置いたが、功を焦ったとあるライターが書いてしまう。そこから独り歩きを始め、文字による迷走がはじまった。しかも、いまでも。これ自体、不幸の始まりである。五輪のトレーニング合宿のときに何があったのかを知る人間は、もはや広く知り得ているひとつの事象がある。そこに足首のケガの要因があり、それゆえの『落ちれ~』だ。我々はその気持ちを察しておかなければならない。まさしくその悔しさの短絡的な意味づけも違う。もう、そのシーンをとってつけたように流し続けるのは止めにしておこう。オリンピックで輝く銀と銅のメダルを獲得した現在、そんな忌まわしきことはいまの日本に必要としない。
それよりも真摯たる取材活動と態度にて望む。それが、より良き道というものである。
文・写真/岩瀬孝文 Photo & Text: Yoshifumi Iwase
〒060-0809
北海道札幌市北区北9条西3丁目7番地 土屋ホーム札幌北9条ビル
土屋ホームスキー部 宛て
宛名は、選手名でお願いいたします。
貴重なW杯レポ、ありがとうございます!
どの記事も心あたたかく読ませて頂きました。
今読んでも、あの時遠くに時差を感じながら見守り応援していた記憶が蘇ります。
こんな素敵な場所にいたかったなーって。
いろんなシーンの葛西選手が好きですが
やっぱり一番好きなのは真剣な眼差しでジャンプに挑むアスリートの葛西選手、
ワンピース姿の、その雄姿です。
あたたかく優しく、大きくたくましくなった葛西選手
これからも応援していこうと思います。